ズバッと解説|こういう場・人は避けたほうが無難です

 

今日はクライアントさんや生徒さんから伺うことの多い「残念なケース」について、率直に、ズバッと解説しますね。

 

 

 

講座や懇親会では、聞かれれば率直にお話していることなのですが、「このような先生、講師は避けるのが無難」といったお話は、あまり文字にはしてきていません。ですので今回の内容は稀少版です。

 

 

 

●ズバッと解説します

 

Q1、ある人が、パワフルなメンターや物を崇拝しているかのようで、まわりにも似たような人たちが集まっているように見えます。その人たちといると、その人や物を崇めないといけないような、ドラマの中に入ることを強要されているような感じがしてしまい、どうしても違和感があります。どう捉えたらよいでしょうか。

 
A1、まず、その違和感を大事にしていただけたらと思います。スピリチュアリティは宗教ではありません。神や、教祖、メンターなどの「より大きな力をもつ誰かや何か」を崇めたり、祀ったり、なんらかの品物が力を持つなどと信じてそれらに依存したりすることは「スピリチュアル」な在り方ではまったくありません。
 
スピリチュアリティとは、一人一人の存在の本質・根源である霊魂が、肉体に宿り転生をくりかえしながら進化成長すること、
つまり私たち自身の本質=内なる高次の自己を見出しその自己を生きることであって、何か外部的な存在やものを崇めたり祀ったりすることではないんですね。
 
スピリチュアルな成長の道のりにおいて、高次意識に波長を合わせることで、幸せになるためのヒントや向上のためのサポートを得ることができます。一人一人が自己の高次の本質を見出し、その本質を生きようとするとき、その人が持つ本質や潜在的な力が引き出され、輝きを放ちます。そのように人生の目的をそれぞれフルに生きるための指針を提供すること、人生をより自由によりよく生きるガイダンスや捉え方を提供するのが、真のスピリチュアリティ教育です。
 
本来スピリチュアリティとは宇宙観、世界観をベースに、高次の根源とつながる「人」一人一人がどのように生きるのか、という生き方、あり方の学び。ですから、人を依存させたり、支配するものではありません。本質の自己の力を取り戻すのですから、いわば「真逆」です。
ですので、人や物を崇めることを求めたり、人を依存させたり、支配する人々、を見かけたら、それはスピリチュアリティの本質を知らない、もしくは自覚がある場合は、スピリチュアルという言葉を使って別のことをしている、と理解すればよいと思います。
あなたがそれを望まない、違和感を感じる健全なセンサーをお持ちであることが素晴らしいです。なかにはドラマのなかにどっぷり浸かって、そのなかで学ぶことを選択する人もいる、ということを頭の隅において、ご自身はご自身のセンサーを信頼し、適切な距離をおけばよいと思います。

 

・ ・ ・
 
Q2、あるところで勉強したことがあるのですが、向いていない、他のことをしたほうがいいといわれ、ほかにもいろいろ批判の的にされてしまい、自信を失いました。やはり私はやめておいたほうがいいでしょうか。
 
A2、本来のその人の持つ力を引き出そうとせず、不安、恐れ、弱みにつけこむことは、相手の力を奪い、弱らせているだけで、教育でもトレーニングでも指導でもなんでもありません。
 
真の指導者や先生は、生徒を力づけ、インスピレーションを与え、力を引き出し、使い方を教え、強くなることを助け、先に行くものだからこそ知る罠について教えます。生徒さんが可能な限り安全に、自分の足で、成功裏にその旅を進めていけるよう、適切な教育によってサポートするでしょう。
また、スピリチュアリティの探究とは誰にも開かれているものですし、成長することを拒まれている人は存在しません。別の言い方をすれば、ワンネスのなかではアセンションつまり成長を拒まれている人など存在しない、のです。
 
というわけで、成長を望む人なら誰であれ、自己の本質ですから、探究する権利があります。
少し考えれば当たり前のこと。
 
それを向いていないなどと批判されるのは筋違い、とお分かりいただけるでしょうか。その人は質問に適切に答える自信がないとか、うまく説明できないとか、きっとほかの理由で、そう言っているのでしょう。
真の指導者が少ないと思われる理由は、きちんと教育や指導を受けている人が指導者になっているケースが少ないから、であると思います。見えない世界を取り扱う者にそしてそれを教える者にとって必須であることがらを学んでいない、まだそれを満たしていないのかもしれません。
 
もし見えない世界のことを扱ううえで、倫理感、良識、誠実さ、人への尊重に欠ける人がいたら、どんなに魅力的なことを言っていたとしても、どんなにパワフルで有名であっても、慎重になる必要があるでしょう。地に足をつけて、しっかり観察し、良識を働かせていただきたいと思います。
 
究極的にはその人が「エゴから行動しているのか、愛から行動しているのか」を感じ取ることもとても役立ちます。
 
 
・ ・ ・
Q3、興味があるのですが、自分が依存的になるのもいやで、人に依存されるのもいやな自分がいます。そうならないで、いられるものでしょうか。それならよいのですが、依存関係を作り出してしまうならやりたくないと思う自分がいます。
 
 
A3、生徒が自ら依存的になっている場合は、きちんとした指導者なら、それを適切な方法で修正するよう促すでしょう。生徒が助けを必要とする場合、依存ではなく、自分の足で歩けるようになるためのエンパワメント(力づけ)やサポート(支援)をしようとするはずです。
 
セラピストであれカウンセラーであれスピリチュアリストであれ、依存させるためにやるのではないんですね。
 
ときにコーチとなり、ときに伴走者となり、ときに理解者となり、クライアントさんが自分でよい人生の流れに乗り、上昇していけるよう、歩き方、助走の仕方、乗り方なり飛び方を教え、クライアントさんが自分でできるように徐々に補助輪を外していくはずです。
 
自立と反対に、依存というのは、自分の主権を完全に誰かや何かに明け渡してしまっている状態、自分で自分の責任をもたない状態です。たとえば自立的に生きることが不可能で身体的に依存せざるを得ないということはありますが、それはまた話が別。
 
誰かや何かがなければ自分を保つことができないとすれば、それに依存している状態といえます。正直なところ、残念なことに依存的な関係性になってしまう事例をたくさん耳にします。依存する側とさせる側の双方が自覚することが大切です。
 
アドバイスやガイダンスを提供するという立場は、クライアントさんからすれば「先生」となりやすく、上にみてしまいがち。それをいいことに…という事例も、残念ながら存在することはお伝えしなければいけません。そうなると、だんだん人格、誠実さ、高潔さのレベルを保つことが難しくなっていくのかもしれませんね。
 
しかしそういった行動を積み重ねていくことは、長い目でみて信用を失うだけでなく、自身の徳をも失っていきますし、霊的な進化というよりも後退していくことになるので、誰のためにもならないことは明白です。
 
しかしそのことに気づけないほど「見えていない、分かっていない」場合、その出来事を通じて学んでいる、といえるでしょう。その人や関わる人にとってはいわばネガティブなレッスンとなることもあります。
 
ともあれ、教育やスピリチュアリティの本質を理解している先生やベテラン講師なら、依存性を作り出そうとはしないでしょうし、そのような関係性が発展しそうな兆候があれば適切な段階でケアするでしょう。
 
ちなみに、未知の分野に入っていこうとするときに指導者に指導してもらうことは、依存ではありません。ピアノやテニスやサッカーだって、皆インストラクターや教師がいます。基礎がない状態でコーチングしてもその人のポテンシャルをうまく引き出すことはできません。
 
最初こそ、適切で質のよいティーチングが必要です。
 
 
いろいろ情報を集めて、最終的には自分が共感できる、信頼できるところへレッスンを見に行ったり、体験してみたりしてみたらよいでしょう。
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Q4、とあるところに何年か通っていましたが、時間を無駄にしてしまいました。こういう世界はやめておいたほうがよいでしょうか。
 
A4、既にそういうことに出会ってしまいました‥という方は「いまいちなケースを知ったおかげで、自分にとって本当に必要なことやものを選ぶ眼を養った」と捉えましょう。
 
無駄になることはありません。
 
私の話ですが、学生時代、男性を見る目があまりありませんでした。表面上、わたしにはとても優しいその人は、意外なほど大きなトラブルがまとわりついていたのです。「トラブルは多いけれど優しい」その人を、私は「助けてあげないと」とどこかで思いこんでいたようです。
 
が、トラブルは私にも降りかかりました。その人の近くにいた時に、ガラスが飛んできて、顔に一生の傷になったかもしれないケガをしたのです。労災や欠勤や通院やなにやらで、職場や上司や親にも迷惑と心配をかけました。そのガラスが数センチ上を飛んでいたら、目に入って失明していたところでした。
 
しかしその人はまたもや環境や道具や周りの人のせいにして怒っており、私の顔に傷跡が残るかもしれないなどと心配することもなければ、なぜそのトラブルが起きたのかを振りかえり、起きないようにしなければ、と思うわけでもありませんでした。「なんで自分ばっかりこんな目に」と怒っていたのです。
 
あれ‥。この人は自分でトラブルを引き寄せ、問題を作り出していて、それを人や運の悪さのせいにしている。本人がそのパターンから抜け出したいと思わない限り、私にできることはない。
 
ハタと目が覚めました。
 
一方、両親や友達は、顔の真ん中に真一文字に怪我をして、顔いっぱいにガーゼがついた私を心配して、形成外科を紹介するなどと言ってくれました。
わたしはそのことについてちょっと考えてみましたが、すぐに「女優になるわけでもないし、顔で仕事をするわけでもない。それにきっと形成手術の必要はないだろう」と直感的に思ったのです。
 
「大丈夫だと思うから、いまの整形外科で梅干しペースト治療を続けてみる」と、いいました。(おばあちゃんの知恵的な独自の治療でしたよ!今になってその先生のことをネットで調べてみたら、著書のある漢方の先生でもありました)
 
整形外科の先生は、
「真夏なので、汗をかかないために日中は外にでない、運動はしない、散歩したいなら夜だけ、シャワーだけ、室内では一日中エアコンをかけて涼しく大人しくしていること。梅干しペーストを塗るために、数日ごとに来院すること。大丈夫。僕のとっておきの梅干しペーストで、キレイに治りますよ!」と仰り、私はその先生の言ったことを守りました。
 
でも、そのとき顔に怪我をしたことで、本当には優しくない人、気遣いのない人、対して、真の優しさをもつ人々に気づくことができました。その一人は、未来の結婚相手でした。
 
労災が降りたので、アルバイトができていたら貰えるはずの満額のお金をうけとることができ、秋に自分の写真の個展を開く資金にでき、本当に優しい人、本当に自分が必要とするのはこういう人のことだ、と気づけたり。
 
大きな災難でしたが、大きな教訓、気づきとプレゼントも受け取りました。最終的にケガは傍目にはわからないくらい、きれいに治りました。
何がいいたいかといいますと・・・
 
だいぶ長くなりましたが、
 
いけてない出来事を経験すると、本物や本当に必要なものや人に出会ったとき、その真価やありがたみがよくわかるということ。
 
経験値が上がるわけです。
 
なので、「あぁ、私はそれによって経験値を上げたのだな」「それによって、本当に価値あるものや真実を見抜く眼を養ったのだな」と捉えましょう。
 
そして、「こういう世界は」とひとくくりにして諦める前に…
 
同じ過ちを繰り返さないために、その体験を嫌うのでなく、憎むのでなく、なかったことにするのでなく、学ぶことをおすすめします。
その体験を恥ずがらず、そこを通り抜けより真実に近づいた自分を、よくやった!これからはもっとよくやれるぞ。と、励ましてあげてください。
 
転んでもただではおきないぞ、と、転んだことを無駄にしないで、なぜ転んだのか。ほかにやり方はないか。どうすればよいのか。学びや教訓を得て、もっと強く賢くなって、また立ち上がりましょう。
 
なぜかって。

スピリチュアリティ探究は言葉にできないほどの恩恵を生涯にわたってもたらすものであるからで、その成長や探究の結実は、この今世が終わっても、失われず、一人一人の本質である霊魂の内に引き継がれていくものであるからです。

 
それを味わうことなく、その景色を見ることなく、その世界には見るべきものがない、と思われてしまうことほど残念なことはありません。
 
 
ご自身の求める人格、求める真実のレベルに近づくことができると思える指導者、先生、スクールを探し求めてください。
本気ならば、かならず見つかります。
 
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ワンネスインスティテュートでは、本気のスピリチュアリティ教育を提供しています。
 
3月は基礎編。ご自分の高次の本質につながり、本質を開花するべく、1日・2日間の集中トレーニングを開催します。
 
本気の方に、ぜひお越しいただきたいと思っています。
 
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3月2日(土)3日(日)
自己の本質に触れ
直感能力を開花する

スピリチュアル・コンタクト講座
(初級・中級)
\東京・両国にて開催します/
講座の詳細はこちらから
 
あと数席ご案内できます
(木曜夜に最終締切となりますが
その前に定員に達した場合は
その時点で締切となります)
 
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現在、本質的なスピリチュアリティ教育を求める方々がお集まりくださっています。お会いできること、ご一緒できることをとても楽しみにしています!
3月に学び始めた方は、1年の6分の5を人生の好転とスピリチュアルな変容のなかに過ごすことになるでしょう。
今年をより心地のいい、自分らしい本質を生きる、一年にするために。
ご一緒できましたら、嬉しいです。
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