異国で病に倒れる

国際スピリチュアリスト教育の専門家  叶礼美です。

 

これから3回にわたり、突然の入院、臨死体験に至る経緯や不思議な体験を書いていきますね。

普段は当たり前だと思っていることが、どんなに素晴らしいことか、あなたに考えていただくきっかけになれば嬉しいです。

 

『原石を磨いて、コアとなる結晶を現す』

『原石を磨いて、コアとなる結晶を現す』

それが、人生の目的。

 

ずっと知りたかったことが思いがけない形で、分かりました。

 

こういった「直観」「気づき」を受け取るときというのは、「これが真実だ」という明確で否定しようのない感覚を感じます。

 

もちろん、その時点で、その言葉が本当に何を意味するのか、奥深さは幅広さを含めて完全に理解していたわけではありませんでしたが。

 

サウナに戻り、またもやおしゃべりに興じるフィンランド人たちにまざって体を温めていると、魂友(たまとも。造語です)マイヨの友達、テルヒが言いました。

 

 

 

 

「レミ、私はこれから湖に入るから、一緒に入りましょ。」

 

「えっ?」

 

「飛び込まなくちゃ!これなしにはフィンランドの夏を体験したとは言えないのよ」

 

正直に言うと相当迷いました。夏至とはいえ、北極圏に近い国の夏。外は長袖のフリースを着るくらいの寒さで、フィンランドの6月の最高・最低気温は、日本の4月の最高・最低気温と同じ。しかも、外は明るくとも、もう夜中近くでした。

 

彼らは冬、氷点下でも、寒中水泳をして育ってきていて、DNA的にも環境的にも寒冷地仕様。私は、日本の関東仕様です。それに暦の上では夏でも、この寒さは寒中水泳レベル…。

 

しかも体が冷えやすい体質な私。マイヨに聞くと、「私はやめとくわ。寒いし、体が冷えるから。」

 

テルヒは、「カモーン!行きましょうよ!ほら、来て!!!!」と元気いっぱいです。

 

「うーん。せっかくフィンランドに来たんだし、これを経験しないとフィンランドの夏を経験したことにならない…。そう言われたら、やっぱりやっとくか~」

 

寒かったら、またサウナで温まればいいかな。そう思い、水着に着替えて、テルヒのあとをついていきました。

 

彼女は、冷たい水を湛えた湖の中に、ずんずん入っていきます。フィンランドの人たちは、皆子供のころからコテージに来ていて、湖で泳ぎます。

 

(ちなみに、家族だけの場合、子供も大人も、かなりの確率で、裸でサウナに入るし、裸で泳ぎます。もちろん周りに他人がいる場合は、水着を着ていると思いますが、サウナには基本的に裸で入ります。お互いに違和感がないようで、温泉や銭湯に慣れている私でも、これには最初かなり驚かされました)

 

そして、私も、冷たい水の中に足をいれて、テルヒの後をついていったのですが・・・

 

腿のあたりまで入った時点で、違和感に気づきました。

 

「テルヒ!待って!

 

・・・・う、う、動けない!」

 

冷たい水に体が硬直してしまい、手も足も動かせない。

 

硬直したまま水の中で立ち往生。

 

動かそうにも、意思にまったく反応しない体。

 

さすがのことに、これはまずい!!!と思いながらも、岸に戻ろうとしても体が言うことをきかない。動かそうと頑張っても、動かないのです。

 

「どうしたの、レミ? 大丈夫!

 

手足を動かして!」

 

「だめ、う、うごかない。うごけない・・・!」

 

大きな声も出ない・・・!

 

いったい、どうしたら・・・?

 

そんな体験になってしまったのでした。

 

それから42度の高熱を出し、近くの病院に連れて行ってもらいましたが、

設備の整ったメディカルセンターへの救急車での転院。

 

急展開。人生、本当に何が起こるかわかりませんね。

 

それでも、この時は、まさか自分が遠い北欧の地、明るい白夜の中で、ひとり死に向き合うことになろうとは、思ってもみませんでしたから…。

 

愛する家族を後に残すことが一番つらい

 

入院した私。

 

いつの間にか、ぐっすり寝ていたらしい私が次に目覚めたのは、全身に衝撃を受けた瞬間でした。

 

どうなったのか自分で分かっていませんが、気づくと私は床に倒れていました。

 

どのようにそうったのかわかりませんが、気づいたのは、

 

点滴スタンドを一緒に倒して(ガッシャーン!!とものすごい音がしました)、床に倒れている自分。

 

ベッドから落ちたようで、床につっぷしていました。目覚めて、驚いて、起き上がろうとしましたが、体に力が入らず、起き上がれませんでした。

 

床につっぷした状態のまま、何もできずにうーとうめいていると、看護士さんが飛んできました。

 

「大変!ごめんなさい。ごめんなさい。私がちゃんと見ていなかったから」

 

(明らかにその方のせいじゃありません)何が起きたのか分からない…そしてそれよりも、ベッドからいつの間にか落ちたこと、しかも起き上がる力すらないということに、愕然としました。

 

突然のことに、

 

何が起きているのか…?

 

この夜、一体どれくらいの時間が経ったのか、混乱していたのか、まったく覚えていません。

 

が、全身はブルブル震え続け、全身のものすごい痛みが続きます。

 

全身から震えと痛みと共に、恐怖が押し寄せました。

 

死ぬかもしれない。

 

奇妙な考えのようにも思えますが、このときの私には、この恐怖が絶対的な重みをもって押し寄せてきました。

 

3カ月前に亡くなった叔父は、私が留学に行く前はいつもどおり元気でした。

 

12月に癌が見つかって、たった3カ月で突然亡くなったのでした。

 

その3か月後、私は北欧の病院で、ひとり、心配させたくなかったので、入院したことを家族に知らせていませんでした。知らせるべきだったか…

 

いま、私が死んだら、家族が壊滅してしまうかも…母はたった一人の弟を失って茫然自失。祖母はたった一人の息子を失って茫然自失。父も、自分の姉弟とは仲良くなく、母の弟や両親が自分の身内というふうでした。

 

そして、忙しい両親のもと私と年齢の離れた弟(中学生)は、仲良くしてもらった叔父を失い、家族が悲しみに沈むのをどうすることもできずにただ受け止めている。

 

さっき結婚を承諾したばかりの彼―も、入院はたいしたことなく、退院してまた元気に帰ってくると思っている。

 

そして、もし私が死んだら、フィンランドの友人たちは、そうでないにもかかわらず、自分たちのせいだと自分たちをせめてしまうかもしれない。

 

私が湖に入ったのは、自分でそう決めたから。彼らのせいじゃない。でも、自分たちの国で起きたことに、責任を感じてしまうだろう。そういう人たちだ。

 

ここで死ぬわけにはいかない。

 

でも、もしそうなったら?この遠い土地で、私が一人で死んだと知ったら。

 

きっと、最後はどうだったんだろうと、一生問い続けるに違いない。私が最後何を考えていたんだろう、どんな想いだったんだろう、そう問い続けてしまうだろう。悲しませてしまうだろう。

 

せめて一言でも書いておきたい…

 

家族を愛していると。幸せだった、楽しかった、家族でよかったと。ごめんねと。

 

これは、友人たちのせいじゃないと。

 

涙が溢れました。

 

看護士に、一言書きたいというと、ペンと備忘録に使っていた小さなメモを、手もとにもってきてくれました。

 

なんとか一言を書こうと頑張りましたが、涙がもっと溢れるしかありませんでした。

 

なぜなら、ペンを握り続けることができない、全身がガクガク震えているので、文字も書けない。

 

一言を書き残すこともできない。情けない。ペンが持てない。字が書けない。

 

伝えたい。伝えなくちゃ。

 

そうでなくては、家族は、私の最後はどうだったろうと思い続けるだろう。

でも、できない。書けない・・・

 

体の痛みも、辛さも、これまでに経験したことのないものでした。

 

でも、何より辛かったのは、家族や大切な人たちに、私の想いを伝えられないこと、そしてその結果、彼らが感じるであろう苦痛でした。

 

引き続き、次回は、そのあとに私に起きた、不思議な体験についてお話しますね。

不思議な体験についてはこちらからご覧くださいね。

 

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